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目の前の別世界に泣いた

「その前にはある大学病院に掛かっていました。そちらには6年くらい通っていましたが、脊椎の専門家がいらっしゃらなかったようで、15年前、鈴木先生にお会いした時に、そちらの病院と治療方針に大分差があったので、とても驚いたのが私の正直な感想でした。」(女性会員)

 

 私は会が発足する前に手術しましたが、その前にはある大学病院に掛かっていました。そちらには6年くらい通っていましたが、脊椎の専門家がいらっしゃらなかったようで、15年前、鈴木先生にお会いした時に、そちらの病院と治療方針に大分差があったので、とても驚いたのが私の正直な感想でした。

 高校生になった時まで掛かっていた大学病院では、どこまで角度が進んでも、成長期の終わる17歳までは、絶対に手術しないと言われました。そちらで手術すれば、背中にホッチキスのような痕が残って、半年はギブスでぐるぐる巻きになって、寝たきりになると言われて、それは分かっていたけれど、それでも構わないから手術して欲しい、背中を治して欲し い、とかなり強く言ったのが、中学3年になった頃でした。その時で、60度を越していたと思います。

 でも、絶対におかしい、中枢神経なんて大事な物の通っている骨が、普通じゃない角度になっているのに、17歳まで手術しないなんて絶対におかしい。この先生は、肩書きが教授でも何でも、言っている事が信頼出来ないから、この病院には絶対に行かない。それまでは、大人しくコルセットをつけて治療していたのに、15歳になって始めて親が薦める治療方針に嫌がった時でした。

 小学校の2年生か3年生頃から、ずっとミルウォーキーブレイスを着けて嫌な思いをしていたのに、自分の治療の為だから、人からどんな目で見られても我慢していたのに、助けて欲しいと思った時に助けてもらえなかったのが、そちらの病院への強い不信感となって、17歳になった時にちょっとしたきっかけで鈴木先生に会うまで、2年近く治療をしないで放置していました。

 初めて鈴木先生に診察していただいた時、レントゲンを見た先生に開口一番「どうしてここまで放置したのか」と同行していた私の母はたしなめられました。それを横で聞いた私はすごく安心しました。この先生は治せる腕も自信もあるんだ。だったらもう、この先生じゃなきゃ治療してもらうのは嫌だ。私はこの先生に治してもらう。手術跡がどうなる、とかそう言ったお話しを聞く前に、同行した母親に言い切って、初めて診察していただいた日に、父には事後承諾で手術日を決めて家に帰っています。

 後日、手術なんて寝耳に水だった父親は、その当時は私には何も言いませんでしたが、『娘の体にメスを入れる』と言う事に相当驚いたようで、先生と良く話し合いましたが、先生からどうして手術するかと言う事の説明をきちんと受けて納得行くまでお話しを聞いたのと、手術を受ける本人の私はケロッとして、「大丈夫よ、他にも手術した患者さんはいっぱいいたけど、みんな元気だったよ。注射は嫌いだけど、手術後の回復にかける時間が圧倒的に違うし、日赤の血を使わないで済むのなら我慢出来るから」と、自己輸血の採血をしに、同じ血液型の妹と一緒に、毎週一回、病院に通っていました。貧血気味の妹は相当辛かったようですが、私がずっと側彎症が原因で嫌な思いをしていたのを知っているので、黙って一緒に来てくれていました。

 大学病院でやったら半年は寝たきりになるのが、たった6時間くらいの手術で、痛いのは1週間くらい続くそうだけど、3日目で起き上がれて、1年半の運動禁止くらいで治るのなら、運動は嫌いだから、私はぜんぜん構わない。それに手術後だって、首から上に出て、体の自由が上手く取れないミルウォーキーブレイスじゃなくて、首から下だけのボストンブレイスでしょ?あんな楽なコルセットをしているんだったら、ぜんぜん構わないと言ったので、家族や先生をはじめ、周りの人達は驚いたようです。

 手術前に同室の、同じ側彎症で二度目の手術を受ける年下の女の子が平然としていて、初めて受ける大きな手術の前でも、私は家族や先生よりも、彼女が大丈夫だよと言っていたので、平然としていられました。怖がったのはたった一度、前日に怖くてしょうがなかったけれど、それでも先生も大丈夫だって言ったから平気だ。いっぱい患者さんを手術した人が言うんだから、絶対大丈夫。

そんな事を思って、私は手術を受けました。

手術中にそんなに血が出ないって思っていたら大丈夫、鈴木先生が前日に言った言葉が聞いたのか、予定よりも少し時間が掛かって手術したのに、自分の血だけで手術が終わり、妹の血は翌日から使っていました。(※事務局注釈)

 手術前、88度あったのが、25度くらいまで角度が減って、149センチしかなかった身長が、ほんの数時間で7センチも伸びて156センチになっていました。鈴木先生は、一気にそこまで戻ったので、手術後に麻痺の類が出るのを心配されたようですが、痛みと麻酔の倦怠感が強いだけでした。

 手術後3日目に、初めてベッドから起こしてもらった時、今までとは見ている景色が全く違ったので、びっくりして泣いたほどでした。ちょうど、厚底サンダルを履いて視線が変わるのと、感覚的には同じ状態でした。これが、本来はあるはずの身長だったのが分かって驚きました。

 退院する時、当分は運動出来ないけど、深呼吸だけは良くするように、と言われたので、歩く時とかに思い出したようにしている程度でしたが、つい最近、肺機能の検査をしたら、手術前よりもずっと肺活量が上がっていて、全く問題ない、とのお墨付きをいただいてホッとしました。

手術してから今年の6月で15年になりますが、私は手術後の経過もずっと良いです。時々、ひどく疲れたり、無理に重い物を持つと背中が引きつる、なんて事はありますが、手術前に角度が進行して、いつ肺や心臓に影響が出るのかってびくびくしていた時よりも、私はずっと気分が良いです。

※このレポートは2003年夏現在の、この会員の方の心境です。(事務局)

※事務局注釈

 鈴木信正先生は1990年頃まで「近親者輸血」を行っていましたが、その後「宿主対移植片病」の危険性が指摘され、現在では日本輸血学会の勧告により近親者輸血は全く行っていないとの事です。 

 なお、患者さん本人から採血する「術前貯血」と「冷蔵保存法」で脊椎手術を行う事を始めたのは、鈴木信正先生が最初です。この最初の試みが採用された頃は、「同種血輸血(他人の血の輸血)」回避率は57%程度でした。現在は、「自己血輸血」だけで同種血輸血を使わずに手術を終わる場合が99.8%にまで高まっているそうです。

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