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中学生の娘と側弯症、我が家の場合(I.C. - I.R.の母)

★2013 年(中学 1年生 ★ ) 「側弯について注意して下さい」 4月中学入学。入学後、学校で実施された健康診断の結果が 5 月に配布され、その備考 欄に印字されていたひとこと。私はここで初めて「側弯症」という病気を知ることになりました。(I.C. - I.R.中学三年生の母)

★2013 年(中学 1年生 ★ ) 「側弯について注意して下さい」 4月中学入学。入学後、学校で実施された健康診断の結果が 5 月に配布され、その備考 欄に印字されていたひとこと。私はここで初めて「側弯症」という病気を知ることになりました。「何、それ?」とますインターネットで検索。すると背中の曲がった女の子の画 像が。「え?娘もこんなようになってるの?」と娘の背中を確認。娘もそう、でした。  何で娘が?先天性?遺伝?生活習慣?進行性?一時的なもの?娘の場合は?これ以 上曲がらない? 「曲がってる曲がってるってうるさい!姿勢に注意しろって言うけど 何を注意するの?」娘の背中を見ては曲がってる、何とかならないのか…という私にキ レる娘。この時はまだ洋服を着ていれば分からない程度。無駄なヶンカをしないため、 この話題を避けるようになりました。  10 月。中学生活も落ち着いてきた頃。私の目から見ても進行していることが明らか でした。これはもう放置しておくわけにはいかないと、とりあえす近所の整形夕卜科へ 向かいました。ます 1 軒目の病院。「曲がってるね、これは側弯症だね。脊椎の専門の 先生紹介するからそっちで診てもらって。」  そして 2 軒目の病院。「側弯症だね。欧米だとこのくらいでも手術するんだけど、日 本じゃあまりしないよね。様子見ようか。半年後にまた来て。」 様子を見る?何もせ すに半年後?別な病院、別な方法を考えようと思いました。 
★2014 年(中学 2年生 ★ )  7月。メディカルスキャニング東京。鈴木先生による初めての診察。予約の電話をし たのは 5月。診察日は 2 ヶ月後の 7 月になりました。中学 1年の 11 月から中学2年の 5 月まで何もしていなかったわけではありません。もしかしたら改善されるかも、改善 される可能性があるなら…と週 1 回カイロプラクディックに通っていたのです。「たぶ ん 5 年くらい前から曲がっていたはすだ。完全には無理だけど 8 割は治せる。」と。5 年前から・というのは同意しかねましたが、でも、とりあえす、信じてみることにし たのです。しかし半年経っても良い方向に向かっているとは思えすやめることに。もう 失敗しないためもう一度よく調べました。そして鈴木先生にたどりつき早速予約の電話 をしたのです。  「進行性の側弩症。手術以タトに方法はない。」 すぐにそう診断されました。そしてこう言われました。「中学生なんだから手術するし ないは本人が決めること。ただ“しない”と言った時、説得するのが親の役目。」 そしてこの日から“真剣に”側弩症と向き合う日々が始まるのです。当事者である娘はど
うだったのか?というと「学校休みたくない。勉強が遅れる。部活かある。手術なんて しない。」でした。  そして 9 月上旬。じあいクリニック渋谷。家族全員で鈴来先生のお話を聞きました。 娘の側弩症は進行住であること、どこで進行性か否かを見分けるか、手術した場合どこ まで矯正できるか、そしてしなかった場合どこまで進行するか、本来の寿命をまっとう 出来ないということもありえる…ということなど。100度まで進行した画像を見て、 さすがに危機感を感じた娘。じあいクリニックを出てすぐに「手術するよ、すればいい んでしょ。」と半分キレ気味に宣言しました。娘にしてみれば決心だったのでしょう。 9月下旬。メディカルスキャニング東京。手術日は 2015 年 1月15日、病院は九段坂 病院に決定しました。しかし娘は「冬休みに手術」と自分で決めていたので病院を出てす ぐに「冬休みじゃないなら手術しない!」と言い出したのです。  寝耳に水。青天の露靂。娘にしてみればそんな感じだったでしょう。聞いたこともな い病気だと診断される。どこか痛いわけではない。遺伝でもない。自分のせいでもない。 鏡に映る自分は今までと何ら変わりない。「曲がってる」と言うのは親だけ。普通に生 活できる。反抗期、学校生活がすべて、友達がすべて、部活かすべての中学 2年生。 親の役目。鈴木先生のおっしゃっていた言葉の意味を痛感しました。泣きながら「絶対 に手術しない!」と言い張る娘に、冷静に言い聞かせました。 「アナタの気持ちはよく分かっているつもり。側弩症になったのは誰かに原因があるわ けではない。ただ私たちの子供として生まれてきて側弩症になったのだかから申し訳な く思う。だから私たち親には責任がある。今は若いし痛くもない。でも手術は 20 年後 30 年後も今と同じように健康的に生活するためのもの。この先さらに進行すると分か っていて放っておくわけにはいかない。今のうちに出来ることはやっておきたい…。」  このようなことを言ったかと思います。 そして翌日「分かった。姿勢も良くなるし身長も伸びるしね。」と。娘は 2 度目の決心 をしたのでした。小さい頃から切り替えが早く、聞き分けが良いほうでした。 娘の性格に助けられました。 それからは、あっという間でした。九段坂病院の大谷先生の診察、肺機能検査、MRに CT、自己血の採血などなど。ちょっと不安だったことは、九段坂病院の入院患者さん の平均年齢が 70歳ということでした。 
★2015 年★ 1月。九段坂病院。いよいよ手術。鈴木先生にお任せすれば大丈夫、不安はありません でした。娘も緊張している様子もなくリラックスしていました。そして手術を終えた鈴 木光生から「全て予定通り。丈夫ないい骨だったよ。」と。入院中は同室の明るいおば あちゃん達に優しくしていただき、本当にありかたかったです。術後の経過も順調で 3 週間経たすに退院できました。
 今現在、術後 4 ヶ月経ちます。退院後はコルセットを着用していますが、当初こんな のしたまま寝られるの?」「重くて疲れない?」なんて心配しましたが、心配無用でし た。回復も早ければ慣れるのも早い。若いとはそういうことでした。 インターネットで「側弯症 名医」と検索し、鈴来先生に関する情報が表示されました。 インターネットがなかったら鈴木先生に手術していただく機会はなかったと思います。 でもネット上には間違った情報も溢れています。判断を誤ると、無駄な時間、お金を費 やすことになります、私たちのように。  軽度であってもますは信頼のできる整形タト科での診察です。手術をすると決まってか ら、いろいろな場面で「かわいそうに」だとか「手術しなくても治るんじやないの」と言わ れました。側弯症について正しい知識がなければ、そう言うのも分かります。私もそう でした。ですから「手術しないほうがかわいそう」と言えたのです。手術をして本来のま っすぐな脊骨に近い状態になりましたが、これで終わりではありません。側弯症とは一 生付き合っていかなければなりません。手術を終えた今、娘から恨みや後悔の言葉はあ りません。自分の運命を受け入れ、将来の自分を想像し考え決断したからでしょう。「背 中にはチタンが入っている。」娘も一生付き合っていくものと覚悟はできているようで す。前向きに。 
 後に、鈴木先生をはじめ九段坂病院の大谷先生、歌川先生、そして看講師の皆さん に本当にお世話になりました。これからも長いお付き合いになるかと思います。よろし くお願いいたします。

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