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わたしの入院生活

「私が側弯症の手術を受けたのは、蒲田にある大槻外科です。私はここでの入院生活をとても懐かしく思います。」(女性会員)

 

 私が側弯症の手術を受けたのは、蒲田にある大槻外科です。私はここでの入院生活をとても懐かしく思います。

  手術前に鈴木先生や、実際に手術を受けた人の話を聞いて手術に対する不安はあまりなかったのですが、入院生活に対して若干の不安がありました。大槻外科が いくら自宅に近い所にあるとはいえ、一ヵ月半の長い入院生活を思うと『看護婦さんや同室の人達とうまくやっていけるだろうか?気を使う事が多いと嫌だ な~』などと、知らない人達との生活が不安でした。でも私のこの不安はすぐに解決しました。この病院の看護婦さん達は、なんだかやたらに明るいのです。私 が患者らしくおとなしくしているのですが、馬鹿らしくなる位明るいのです。『これから大手術を受けるんだ!!』と気合いを入れて入院したのに、むかえる看 護婦さん達は『側弯なの、あっそう』という感じで、それがどうしたとでも言わんばかり。気合いが抜けてしまいました。そしてもう一つ驚いた事は、この病院 に長く入院している人達が、側弯症についてやたら詳しいのです。それは側弯症の手術を受けた人達を沢山見て来ているからです。私と同室だった、ある患者さ んもその一人で、入院初日に『あなた、どこも悪そうに見えないから側弯でしょ』と言われ、何で側弯症を知っているのだろう?と思ったのと同時にほっとしま した。いちいち説明しなくても理解してくれていて、それまでに側弯症の手術をした人の入院中の事や、術後の経過などについて話してくれました。

 入院2日目に一番恐れていた脊髄造影の検査がありました。怖さで硬くなっていた私に『大丈夫、大丈夫』と皆さんが声をかけてくれました。あんなに怖がっ ていた脊髄造影があっけなく終わって、『全然痛くなかったよ!』と元気に戻ってきた私に、本当に心配して待っていてくれたらしく、一斉に私のベッドに集 まって『良かったね』と安心した顔をしてくれました。

 そして、むかえた手術当日。私は友達と同室の皆さんに見送られて手術室に入ったので怖いと思う時間がありませんでした。手術室まで運んでくれた看護婦さんも『じゃね』といつもとまったく変わらない感じで、それがさらに私をリラックスさせてくれました。

 目が覚めて副院長の芦田先生が、『大丈夫?』と声をかかてくれた時、真っ先に、『私どうなったの?レントゲン見せて』と言うと、先生は『君は恐ろしい性 格してるな~』と言いながらもすぐにレントゲンを持って来て、『こんなにきれいになったよ、すっごいな』と言ってくれました。私も『お~!すごい!!』と 一緒になって言ったのをよく覚えています。その日の午後、私は病室に戻りました。ベッドのまま運ばれていくと、同室の皆さんが集まって来て『お帰り○○ ちゃん良く頑張ったね』と、声をかけてくれました。痛いとか、苦しいとか、そんな感じは無くて、その『お帰り』の一言がうれしくてニヤニヤしていたら、 『手術後でこんなに元気なんて、大したもんね』と笑われてしまいました。

 私が初めて立った時、同室の皆さんから『おお!!』と声が上がりました。初めて歩いた時も皆さんがとても暖かく見守って下さっているのが分って、とても嬉しかったです。

 私は鈴木先生を初め、大槻病院の先生方看護婦さんの皆さん、そして同室の優しい人達のお陰で、順調に回復し、とにかく元気がいい、問題無し!と太鼓判を 押されました。そして残りの入院生活も楽しく過ごしました。あれだけの手術をしたのですから、辛くなかったと言えばウソになりますが、でもそんな事を感じ ないくらい、私はいい出会いや経験をしました。あの入院生活で得たものはとても大きいと思います。

 お世話になったすべての方々に心から感謝しています。

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