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わたしの側弯症

「私が側弯症と診断されたのは、3歳の夏でした。それは母が、私の肩甲骨が左右対称でない事に気付き ...」(女性会員 14才)

 

 私が側弯症と診断されたのは、3歳の夏でした。それは母が、私の 肩甲骨が左右対称でない事に気付き、浜松北病院の小池先生に見て頂いた時の事です。背骨の一つのブロックの端がかけている。奇形の為の側弯症だと言われま した。でも今すぐ治療と言う事でなく、一番の成長期の十歳前後まで、経過を観ていこうという事になりました。それは、その時期が一番曲がりややすく内臓に も影響してくるという事でした。

 そして小池先生は、その時には、慶応病院の側弯症専門の友人{鈴木先生}を紹介するからと、おっしゃいました。それから、半年に一回レントゲンを撮って 経過を観ていただいていましたが、小学六年生の時にとうとう、東京行きを言い渡されました。その時には、もう五十度にも曲がっていました。私は手術をしな ければならいという気持ちと、鈴木先生はどんな先生どろうかと、不安ばかりつのらせ、東京へむかいました。鈴木先生は、優しく接して下さいました。でも、 私の側弯は先天性だから、進行するという事ですぐに手術と言われました。けれども、私の骨がまだ未熟なので一年間、コルセットをつけて、様子を観ようとい う事になりました。コルセットは、肋骨の隆起を押さえる目的だそうです。コルセットは夏は暑く、冬は冷たく、嫌だな思う時もありましたが、検診時鈴木先生 から『良い状態だ』と言われると、コルセットをしてて良かったなと思いました。

 そして、1年を待たずに手術の日が決まりました。手術の1ヶ月前から自己血を採る為、週1回浜松から蒲田の大槻病院まで通いました。入院してからも自己 血を採ったり、検査などで十日位かかりました。病院には、もう手術を済ませている人が三人もいました。皆が手術後の様子を色々教えてくれたので少し安心も しました。一週間たったらあの人の様になる、二週間たったらこの人の様に元気になれるんだ、と自分を励ます事も出来ました。

 手術室へむかう時、家族だけでなく仲間達も励ましながら送ってくれました。すごく勇気が出た様な気がしました。手術室では、先生や看護婦さん達が明るく て、本当にこれから手術が始まるのかなと、疑ってしまう程でした。しばらくして私は、麻酔をかけられ、眠りました。それから四時間位たち、部屋へ運ばれて 行く時に、気が付きました。(ああ、終わったんだな)と安心しました。先生が「足を動かしてごらん」と言ったので、一生懸命動かしました。これで合併症の 心配もなく手術は無事済んだのです。この時、すごく寒かったのを覚えています。次の日には立ち、二日目には少し歩きました。まだ麻酔が効いていて、ウトウ トしている状態だったので、はっきりと覚えていません。そして一週間もしないうちに、自分で立ち上がったり、歩いたりする事が出来る様になり、自分でもど んどん回復している事がわかり、嬉しかったです。

 今はもう手術をしてから、半年がたちました。運動規制があるものの、あと半年位我慢すれば運動が出来ると思うと、楽しくて仕方がありません。私は、手術 を受けて良かったと思います。手術が怖くて悩んだりもしました。でも、健康になれた事、手術という大きな山を乗り越える勇気と力を持てた事、手術をしなけ れば出会えなかった人達に巡り会えた事、体の事を話し合える友達が出来た事は、私の一生の宝物です。

 鈴木先生初め、手術についてくださった諸先生方、芦田先生、看護婦さん、励ましてくださった「あやめの会」の皆さんに感謝いたします。そして鈴木先生を 紹介して下さった浜松の小池先生、有り難うございました。小池先生は、私が初めて鈴木先生に診ていただいた日の10日後、膵臓ガンで亡くなられました。後 で聞いた事ですが、とてもお体が辛いのに、私の為に鈴木先生宛ての紹介状を書いて下さったそうです。それを思うと胸が痛みます。

 鈴木先生に健康にして頂いた体で、小池先生の分まで、精一杯生きて行こうと思います。

 最後に、小池先生のご冥福をお祈りして終わらせていただきます。

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